「〜したい」「〜しよう」という思いが、「意志」なのか「欲」なのか。この違いをきちんと理解することが、意志を強化する時には非常に大切(P3)
必死に力を尽くしてがんばれば充分(P22)
目印として、何かの結果をめざす。次にその結果のことを気にしないで、客観的にものごとを判断しながら力を尽くしてがんばってみる。それだけで大成功。願った結果になってもならなくても、どうでもいいこと。
一応、目的を設定する。それから、どこまでその目的に近づけるのかと努力してみる。人生はそれだけ。願いが叶うか叶わないかは、充実した生き方を過ごす人にとっては関係ない。
自分の意志が弱いのは、理性より感情を優先してしまうから(P27)
原始脳(動物の脳)は生まれた時にすでにできあがっている。大脳(理性の脳)は、生まれてから成長させなくてはいけないもの。
理性の脳を正しく成長させることができたならば、感情に振り回されることはなくなる。
原始脳を自由勝手に機能させていると、好きなことしか行動に移さないようになる。それは人間である前に、動物として生きているということ。
私たちの設定する目的は、最終的に人格向上をめざすものでなければならない(P40)
たとえば、「やせたい」という目的を「だらしない生き方を改めたい」と改良する場合は、食事の問題だけではなく、他の問題もたくさん改良してくれるはず。人格向上をめざした目的を設定すると、脳にとっては「挑戦する価値がある有意義な目的」になる。有意義なことに挑戦すると、脳は喜びや充実感を感じる。そうすると、挫折したり失敗したりしない。
人格の向上こそ、仏教で教えている人生の目的(P42)
動物として生きるのではなく、人間として生きることをめざしましょう、ということ。
自分が目的としていることが有意義なことであると、脳が理解して納得すれば、脳は瞬時に優先順位を判断できる(P44)
お釈迦さまの教えでいう「意志」とは(P61)
一般的に考えられている「意志」よりも、もっと基本的で根本的な、善でも悪でもない「生きたい」という衝動。
意志は、次のステップに変化するためのエネルギー(P70)
意志というのは、ひとつの仕事(目的)を成し遂げるためのもの。仕事をするたびに意志が生まれ、その仕事が終わったら意志は消えていく。
仏教でいう「業」(カルマ)も、意志のこと(P80)
あなたが何かを見たり聞いたりして、判断するたびに意志=カルマは生まれ、そして、手足を動かして行動に移し、その結果が、今のあなたやあなたを取り巻く現実になっている。
(中略)
すべて、原因があって結果がある。すべてのことには因果法則があり、あなたは、瞬間、瞬間にそう行動することを選んできたのだ。
意志が揺らいでしまうのは、原始脳のせい(P98)
人は「好き・嫌い」という感情(動物の脳)=原始脳を野放しにし、その感情で物事を判断すると、意志がぐらついてしまう。自分が「意志が弱い」と感じているのであれば、それは、「好き・嫌い」の感情でものごとを決めているから。
自分のしたことを悔いる「後悔」も悪の心所(P119)
自分がしでかしたことを「自分はなんてダメな人間なんだ」と後悔して、ただ自分を責めるという行為は、悪心所のなせる業。もし、後悔するようなことを考えたり、行ったりしたら、どこが悪かったのかという事実を検証し、反省すればよい。
善心所が意志の支柱になる(P120)
意志というのは、細くて弱い朝顔のツルのようなもの。細くて弱いので、ツルだけではなかなか空に向かって(よい方向に向かって)伸びていくことができない。そこで、ツルの横に木の棒を1本添えてやると、ツルは棒に沿って伸びることができる。
この木の棒が、善心所。木の棒を継ぎ足すように善心所を強化していくと、意志は自然と善の方向に強化され、心がよい方向に伸びて行く。
善の行動を毎日行っていると善の心所が強化されるため、善心所と組み合わさって働いている善の意志が自動的に強化される。
目的が「善」の条件をクリアしているかチェック(P121)
自分が「目的」を設定する時に善か悪か判断する時は
「きちんとした理性を持っている人から批判されない」
「行ったあとに自己嫌悪に陥らない」
「後悔することにならない」
「よい結果になると期待できる」
といった条件をクリアしているか検討する。
意志が弱いのではなく、目的設定の問題(P134)
意志というのは目的に沿って生まれるもの。実は意志が弱いという問題ではなく、目的設定の問題。目的を正しく設定し、脳が本気で達成しようと思っているかどうか。
この最初のところをきちんとやっておけば、意志は自然についてくるし、強化もしやすい。
意志は使い捨てにする(P161)
意志というのは目的を設定すると自動的に生まれてくるものであり、その意志で一生懸命がんばるが、目的を達成したらその意志は捨て、新たな目的設定をしなければならない。
目的を達成するために、小さい単位に目的を分割する(P162)
達するのはむずかしい、達しそうもない、と感じてしまうと、意志には出番がない。やる気が出てこなくなり、後回しにしたくなる。目的を短時間でこなせる小さな単位に分割すれば、達成するまでに必要な意志が自然に現れてくる。あとはただ実行するだけ。
「面倒だ」と思ったら目的設定は失敗している(P163)
例)勉強しようと取りかかったのに「ああ、面倒くさいな。早く終わりにして、遊びたい」と思ったら、その目的設定は失敗。
最初から「自分はこういう理由で、この勉強をするんだ」というしっかりした目的設定ができていないから、すぐに意志が揺らいでしまう。
意志はバッテリー(電池)と同じ(P163)
勉強をしながら、他のことが頭をよぎると、そのことに電池を食われてしまい、目の前の勉強にあてる電池(意志)が減ってしまう。
意志を強化する3つの元素(dhatu・ダートゥ)(P164)
※「元素」は仏教用語では「界」のこと
1.行動を開始する力(arambha dhatu・アーランバ ダートゥ)
2.続ける力(nikkama dhatu・ニッカマ ダートゥ)
3.乗り越える力(parakkama dhatu・パラッカマ ダートゥ)
没頭すれば、いつだって強い意思を保てる(P174)
没頭する能力のことを「統一性(ekaggata・エッカガター)」または「集中力(samadhi・サマーディー)」という。没頭する能力は育てられる。
どんなことも、「とりあえず一生懸命やってみる」という気持ちが、没頭する力を育てる。