毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

自分の美学を貫くということ

今日のNHK「スポーツ大陸」は昨年引退した男子体操・富田洋之選手だった。美しい体操が持ち味の彼は、それを貫くために苦労も多かったそうだ。

スポーツの世界では「ルール改定」が大きく選手の競技人生を左右する。特に、単純に勝ち負けをつけられない「芸術性」などを加味するものはそれが大きいと思う。たとえば、フィギュアスケートなどは点が取れる技の評価が細かく変わる。
体操も、アテネオリンピックのあと大きく採点方法が変わった。

今までは言わば減点方式。いくら大技に取り組んでも、そこにミスがあればそこから点が引かれてしまうので、結果的に難易度のあまり高くないものを確実に決める方が点が上回ることが多かった。なので、どの難度の技を取り入れるのか、確実性や精度も考えて決める必要があった。
ところが、アテネで日本が金メダルを取ったあと、ルールががらりと変わったのだ。難易度の高い技を入れれば入れるほど点が高くなるので、仮に失敗して点を引かれても、結果的に高い点が取れる。
日本も、新しい採点方法に即した演技構成を考えなければならなかった。
しかし、富田はそれが自分の目指す体操とフィットしなかったそうだ。「自分は自分の目指す『美しい体操』を極めたい」と思い、“失敗してもいいからとにかく大技をやる”という流れに逆らうような形になった。

北京オリンピック。個人総合で吊り輪の時、プロテクターがはずれるアクシデントのため演技終盤に落下して肩を打ち、競技続行が危ぶまれた。しかし、彼は自分の体がまだ演技できると確認したあと、残りの種目も強行出場した。吊り輪で大きく差をつけられ、今さら残りの種目に出てもとてもメダルには届きそうもない状態。その状態でなぜそこまでして出場するのか、みんなが首をかしげるような状況だった。
富田選手はあの時、何を考えて強行出場したのか。

彼は、自分が素晴らしいと思ってここまでやってきた『美しい体操』を最後まで見せたい、と思ったのだそうだ。メダルとか順位は関係なかったのだとか。胸が熱くなった。

さらに、現役最後の国際試合で、富田は自分のやって来たことが無駄ではなかったと知る。アテネ後「失敗しても美しくなくても、難易度の高い演技を入れれば点が取れる」という流れが、再び「美しさを大切にする」流れに変わっていたことが実感できたそうだ。富田の演技が流れを変えたのかもしれない。確かに、新ルールになって成績が上がったのは主に中国の選手だが、見ていてもちっとも楽しくなかったからだ。体操は観客も美しさを求めているような気がする。
その日の観客は富田が引退することを知っていて、拍手が鳴りやまなかったそうだ。


見方によっては「こだわり過ぎ」「客観性がない」と言われるかもしれないが、私は富田が自分がいいと感じるものを信じ、それを貫いたことを素晴らしいと思った。私なら、たぶんそこまでできない。世の中の流れだから、とそれに簡単に迎合していたのではないだろうか。
世の流れと自分が拠り所とするものが大きく離れようとする時、これからは胸に手を当てて考えよう、と思った。