そんな時、ネットでたまたま見かけて、図書館で借りてみたのがこの本。
しかし、実はこれ、またまた「タイトルにだまされるなシリーズ」(と勝手に命名)の1冊だったのだ。
◆目次◆
月曜日 考える人とおめでたい人はどちらが幸せか?―「思考」について
火曜日 たとえ悪法でも絶対に守るべきか?―「法律」について
水曜日 なぜ私たちは美しいものに惹かれるのか?―「美」について
木曜日 どうして学校に行かなければならないのか?―「教育」について
金曜日 神を信じるべきか?―「信仰」について
土曜日 民主制は本当に最良の政治制度か?―「民主主義」について
日曜日 幸せな死はあるのか?―「死」について
謝辞
訳者あとがき
借りてきて、目次を見たらあらびっくり。私が知りたかったタイトルの内容は、7分の1でしかない。
実はサブタイトルの方が重要で、正しくは「哲学入門」の本だ。
訳者あとがきによれば、著者は高校の哲学科教師であり、同時に著作活動や一般の人と広く哲学について考える活動を行っている。
そう、フランスの高校には哲学の授業(必修)があり、何とバカロレア(大学入学資格試験)にまで理系文系にかかわらず哲学があるそうだ。
以前、トリンプインターナショナルの吉越さんの著作で読んだが、本当だったのだ*1。フランスと言えば、ワイン、料理にファッションや映画、と文化の国のイメージがあるが、実は数学が進んでいたり、理論的に考える人が多いという。
そのベースになっているのがおそらく哲学。しかも、アメリカのディベートとは違い、論文形式なので、パフォーマンスでごまかすこともできない。非常に論理的に考える訓練をしっかり受けていると言えるだろう。
この本は、バカロレアの小論文対策としても使えるものなのだそうだ。
というわけで、私がきちんと読んだのは月曜日のみ。あとは流し読みで終わってしまった。
テーマがすべて身近で、改めて考えたことがないな、というものばかりなので読んでみるとそれなりに面白い。論理の展開方法について学びたい、という人には役に立つかも。
翻訳がとても自然で、読みやすかったのもポイントが高い。
ただ、玄侑宗久さんの『しあわせる力』と前後して読んだので、タイミングが悪かったかもしれない。
実は、『しあわせる力』は、この本のアマゾンページの“この商品を買った人はこんな商品も買っています”で知ったのだが、内容はまったくの逆。哲学は前提として「考えることが善」だと思うが、禅では「頭は帽子掛けと思って無視しなさい」*2なので。
タイトルの「考える人とおめでたい人はどちらが幸せか?」の答は、やはり哲学なら当然の「考える人の方がより深い幸福を感じられる」という結論だった。
ただ、“考えるだけではなく、行動も伴ってはじめて新たな幸せを見つけられる”という言葉は、哲学書だけにとても新鮮だった。
タイトルでだまされる人が出ないように、あえて読書日記を書きました。
哲学に興味のある人、これを読んで面白そうと思った人はどうぞ。
私のアクション:考えた分だけ、行動する
以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。
※「月曜日」の内容のみになります。ご注意ください。
考えることが幸せな瞬間をぶち壊しにするのは、考えることが「未来を先取り」することだから(P15)
幸福、そして楽しい時間というのは「今」のものなのである。
「自分にできることは、自分ではどうしようもないことを受け入れるか否かの選択のみである」(P21)
とストア派の哲学者であった皇帝マルクス・アウレリウスは言う。
(中略)
自分ではどうしようもないこと(親しい人の死、ライバルのほうが業績優秀であること、妻が他の男性に向ける羨望のまなざしなど)を受け入れないままでいると、不幸な現象に、第2の不幸、すなわち怒り、憎しみ、嫉妬といった負の感情がさらに上乗せされる。