毎日「ゴキゲン♪」の法則

自分を成長させる読書日記。今の関心は習慣化、生産性、手帳・ノート術です。

“坐禅なし”で悟りに近づく方法☆☆☆☆

読みたいと思ったのは、五木寛之さんが玄侑さんとの対談で、この本を絶賛されていたから。
さすがの玄侑さんらしく、とっつきやすいのに中身は果てしなく深い本だった。


◆目次◆
はじめに
1 なぜ「迷い」が生じるのか
2 悟った人にはどう見えるのか
3 日常をどう生きるか
4 あらためて、「私」とは何者なのか
5 風流に生きる
あとがき
禅語索引

著者は、「はじめに」で

 私に言えるのは、今の私が、なぜ生きるのが楽なのか、ということだけだ。もしかするそれは年齢のせいかもしれないが、私としては「禅」のおかげだと思っている(P7)。

と書かれている。禅と言うと“仏教の中でも特に戒律が厳しくて、修業も大変そう”というイメージがあるが、この本は

 少しでも、一人でも多くの人に楽で元気になってほしいのである(P8)。

という目的で書かれたものだ。そう言われただけでも、気が楽になるのではないだろうか。非常に実用的な本なのだ。


ひとつひとつ、著者が「禅語」を読み解いてくれる。禅語だけを見ると読み方も独特で難解そうだが、著者の手にかかれば話は脳の働きからキリスト教の解釈にまで広がり、楽しく読んでいるうちにじわじわと効いてくる。

また、動物と人間の違いについて触れる時には『荘子と遊ぶ』でも活躍した、飼い犬のナムと飼い猫のタマも登場し、ほっこりさせてくれる。

個人的には「悟った人にはどう見えるのか」という章が特に面白かった。悟っていなくても*1禅的に生きることが可能だし、悟った人たちのものの見方や感じ方を知ることで、生きやすくなるという。
もちろん、字で読むのと実体験は違うだろう。だが、“こんな感じなのか”と想像するだけでも楽しかった。


さすがの筑摩書房、巻末には禅語の索引もついていて、用語集としても使えそうだ。
おすすめはやっぱり手元に置いて時々読み返すこと。読んでも忘れてしまうので、心が落ち着かない時に開いて何ページが読むだけでも“鎮静剤”になってくれると思う。
生きにくさを感じている人はぜひ読んでみてください。
私のアクション:「方便」を自分に許す

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以下は私のメモなので、興味のある方はどうぞ。※メモに関してこちらをご覧ください。

四無量心=慈・悲・喜・捨(P162)

慈(マイトリー)…他者への無差別的な慈しみ
悲(カルナー)…他人の悲しみに自己をチューニングする同化力
喜(ムディター)…妬忌することなく他人の喜びを同慶と感じる心ばえ
捨(ウペークシャー)…突出した感情を捨て去った平静さ

日常の修行とは(P177)

無数の抽斗(ひきだし)のある巨大なタンスを思い浮かべていただこう。そこにある抽斗のすべてがあなたの可能性である。しかし現実に暮らすには抽斗をいくつか開ければ足りる。だからチャレンジ精神をもって背伸びして高い抽斗も開け、遠くの抽斗もたまには開けてみる。それが修行としての日常である。

安心立命とは(P204)

「あんじんりゅうみょう」と読み、もともとは仏語の「安心」と儒語の「立命」が合わさった言葉だが、もはや世間に充分流布しているだろう。どこに住み、何をして生きていくのか、自分の受け容れた現実を「天命」ととらえ、言祝ぐ。つまりわざわざ肯定的な言葉を言うことによって、自ら安心を作り出していくことなのだと思う。

不慣れなことを楽しむことこそ「風流」(P210)

人間だからこそ、覚悟が決まると「ゆらぎ」も楽しめる(P210)

思い通りにならないことが起こったら「風流」(P216)

怒っている時にそこに戻ろうなんて至難の業ではあるが、思い通りにならないことが起こったら「風流」だと意識する習慣を身につけるしかないのだと思う。だから足をぶつけても風流、歯が痛くても風流と、とりあえず呟いてみるのだ。
そういう意識の仕方を習慣化していくと、やがて一瞬に「ゆらぎ」が起こるようになるはずである。

*1:玄侑さんはご自身が悟っているわけではない、と謙遜されています